Statement

小学校低学年の頃、乳歯が抜け始める時期が訪れた。
歯がぽろっと抜けたあの感覚は今でも鮮明に覚えている。

抜けた歯は「上の歯は縁の下に、下の歯は屋根に投げよ」という話を大人が教えてくれた。丈夫な永久歯が生えるという、昔から人々の間で語り継がれてきたおまじないみたいなもののようだった。

わたしはそのアドバイスの通りにはせず、上下かまわず抜けた歯を庭の決まった場所に埋め、毎日のように水をやった。

その場所には昔、桜の木が植えてあった。わたしが生まれた記念にと植えられた木だったが、様々な理由から伐採され、切り株だけが残っていた。わたしは切り株の根元に歯を埋め、水を与えた。

何故そのような植物の種子を扱うかのような振る舞いをしたのか理由はわからないが、その切り株を天国への出入口のように感じていたことは覚えている。

今になって思えば、消えてなくなっていったものとどこかで繋がれる(気持ちになれる)場所が欲しかったのだろう。

わたしの制作はそれに似たような部分があると感じる。それは、わたしが絵を描くことは消えて無くなってしまったものとどこかで繋がろうとしているんだと感じることがよくあるためだ。

幼い頃から絵を描くことが好きだったわたしにとって、絵を描くことは手に入らないものを入手するための行為だった。こどもの頃は、絵の中で動物になったり魔法を使ったり、現実では実現できない世界を紙の上で叶えてきた。

それは何十年経った今も変わらず、幼少期の「夢」や「憧れ」みたいなものとは異なりはするが、体験から派生した願いを描いていたと感じる。

その時々によりモチーフを変えつつも、そういった願いや理想のようなものが常にわたしの制作の主題であることは今も同じで、自分も歳を重ねていき、今、対象が「戻れない時間」や「もう存在しない場所」というものにシフトしている。

絵が戻れない時間や消えた場所にアクセスするためのものになりつつあると感じている。

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